サラブレッドのたわごと(宇田一)

私は、高等学校在学中、菊池・芥川・久米・倉田らの諸君と同時代を過ごしたことを幸せと思っている。理科系に学んだ自分のかたくなな心をやわらげ、馬車馬のような目隠しをはずして視野を広げてくれたのは、これら文系の諸君のおかげである。とくに、久米とは同郷という関係もあって、とくに親しく交わった。後年、彼の作品中の作中人物の中に自分を見出して、彼のいわゆる微苦笑を漏らした思出もある。しかし、これらなつかしい諸君は、みな文豪の名を残して、すでにこの世を去り、淋しい極みである。

ところが、十年ほど前からサラブレッドの研究を始めているが、馬名に、大文豪・大芸術家あるいは英雄などの名を冠したものが非常に多いのに興味を覚え始めた。

最も古い馬でシェークスピアがある。これは、サラブレッドの草創期の馬で、一七四五年の出生である。その後、再び一九五一年に、名馬シェークスピアがあらわれている。

(中略)

一五世紀のボッティチェリに始まり、一六世紀のミケランジェロ、ラファイエル、一七世紀ではブウサン、一八世紀ではゲーンズボローやゴヤ、一九世紀ではミレー、ドガ、コロー、トゥールーズ・ロートレックなど、各世紀の代表的大画伯がそれである。

(中略)

それはそれとして、これら大画伯の名号をもった優駿がどうして生産されたか。これが私の研究の対象である。

さて、優秀な素質を持ったいわゆる純系を維持するためには、近親交配が望ましいのだが、近親交配の継続は、ややもすると、活力の低下をきたして、競走能力が劣る結果を生じやすい。競走能力の秀でたものを求めるためには、いわゆる雑種強勢力を利用する異系交配が効果がある。しかし、これは一代雑種などという語もあるように一代限りである。そこで、競走能力も卓越し、同時に、種牡馬あるいは繁殖牝馬として優秀なものを生産するにはどうしたらよいか。これが、私の展開した「配合理論」である。これは、簡単にいえば、近親交配によったものと、異系交配によったものとを組み合わせる生産方式である。私は、これを基準交配と呼んでいる。そして、この基準交配を継続することによって、始めて優秀なサラブレッドを計画的に生産することができるというのが、私の主張である。

従来、サラブレッド界には、交配に”配合の妙を得た”とか、”合性”という意味に”ニック”という語が用いられている。私は、この”ニック”を交配形式の研究によって、科学的に、また、実証的に研究を続けているのである。

たとえば、大画伯の名号をもったゲーンズボローは、イギリスでも珍しい三冠馬の栄冠を担った名馬であるが、これは基準交配によって生産されたものである。さらに、これにやはり基準交配によって生産された牝馬シリーニが配されてハイペリオンが生産され、これは父馬の跡を継いでダービーを制覇した。さらに基準交配を継続して、孫には四頭のダービー馬が輩出しているのである。

私は、配合理論を駆使して、わが国において、世界に誇る名馬を生産したいと考えている。そして、将来、我が国の画伯なり文豪の名号をもった、ウタマロ、ホクサイ、タイカン、キクチカンなどの優駿の出現を期待している。

菊池寛は、学生時代から将棋は好きであったが、後年の彼の道楽は競馬であったようだ。彼は、雑誌「優駿」の創刊号の巻頭に、”競馬近ごろ”という一文を寄せている。そして、馬主として、抽せん馬制度についての彼の所感を述べている。不運にして、彼の持馬の中からは、あまり優れたものはでなかった。彼が好んで筆にした「無事之名馬」は、彼の負惜しみのあらわれであろう。彼は、ダービーを夢みていたにちがいないと思う。配合理論を語りあう日を待たずに、彼が早く世を去ったのは遺憾至極である。

文藝春秋 昭和48年6月号より抜粋

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